篤胤の支持者と明治維新の成功
平田篤胤の評価は語る人によってさまざまなものがある。その中にはアト智恵の批判も多い。私が最も関心をもっているのは、当時の村々の名主・庄屋の階層に門弟や支持者が多かったという事態である。
下総国香取郡松沢村の名主宮負(みやおい)定雄もその一人だった。彼は百姓をたたえる和歌をこうつくっている。
「御田(みた)作る 青人草(あおひとぐさ)は あし原の みずほの国の 本つ御民ぞ」
大名でも無いサムライでも無い、なぜ、泥まみれとなり、体全体に汗を流して働きつづける百姓が、日本の中で最も神にめでられる人々になるのか? なぜ、篤胤の教えが宮負のような階層の人々に、その生存と生命の充実感を満たすことが出来たのか? この問いの中に、明治維新の成功を解く鍵があるのではないだろうか?
東京大学名誉教授
宮地正人