コラム

平田篤胤に関するコラム

※研究者の方々に執筆いただいています。

平田篤胤肖像

篤胤肖像はいろいろ伝来していますが、国立歴史民俗博物館の平田篤胤関係資料の中に自画像が見つかっています。これが篤胤の実際の顔に近いものと考えられます。 『気吹舎日記』の天保9年(1838)11月20日の条をみてみますと、 […]

「筑波蜂起一件顛末記」刊行によせて

 幕末維新期の平田国学の中心地域は東濃・木曽谷・南信の「夜明け前」の世界であった。中津川本陣の市岡殷政(しげまさ・島崎藤村の歴史小説『夜明け前』の浅見景蔵のモデル)はペリー来航の嘉永六(一八五三)年から明治八(一八七五) […]

平田篤胤の晩学のすすめ

 現代は、生涯学習の時代です。成人してからも、リタイアしてからも楽しく学び続けることが求められているようです。全国各地で、大小さまざまな講座が開催されていることは、ご存知のことかと思われます。   さ […]

熊澤恵里子

和魂万国才

明治2年8月2日、日本の神々である八意思兼神と久延毘古神を祀り大学大博士平田銕胤が祝詞をあげた学神祭は、漢学者の猛反発を呼び大論争に発展した。集議院では「釈奠廃止、漢籍廃止」が諮問され、当然のことながら二件とも圧倒的多数 […]

『仙境異聞』の現在

 最近、岩波文庫の一冊『仙境異聞・勝五郎再生記聞』がよく売れているようで、書店でも平積みになっている様子を見かけます。今の若い人たちが、篤胤の著書を熱心に読んでいるというのは、真にうれしい限りです。  寅吉(天狗小僧、仙 […]

捜索 都賀厚之助

平田国学に関しては、篤胤の評価を始め近年は史実に沿った評価がなされるようになってきており、研究者の一人として私も嬉しく思っている。その中で今最も気になっているのが、都賀孝之助強という平田没後門人である。都賀は単なる門人で […]

熊澤恵里子

平田の学業神-久延毘古

古道研究に励む平田篤胤は、「足は行かないが天下のことを知り尽くしている神」として、勉学する傍らに常に久延毘古(くえびこ)画を掛け置きました。久延毘古は『古事記』にも登場する田の神、案山子(かかし)です。知恵の神と言われて […]

篤胤研究における『古史伝』の大切さについて

 平田篤胤が秋田藩を脱藩して江戸に出てきたのは寛政7年(1795)、幕府の命で江戸を離れて秋田に戻るのが天保12年(1843)で、江戸での活動は50年近くということになる。講釈を始めた文化元年(1804)起算しても約40 […]

『勝五郎再生記聞』と産土神

平田篤胤は、生まれ変わりに強い関心を抱いていました。 多摩郡程久保村(現・日野市程久保)の藤蔵から、同郡中野村(現・八王子市東中野)の勝五郎へと再生したという話を篤胤は知りました。そして、勝五郎やその父源蔵から詳しく聞き […]

篤胤の支持者と明治維新の成功

平田篤胤の評価は語る人によってさまざまなものがある。その中にはアト智恵の批判も多い。私が最も関心をもっているのは、当時の村々の名主・庄屋の階層に門弟や支持者が多かったという事態である。 下総国香取郡松沢村の名主宮負(みや […]