コラム

熊澤恵里子

 古道研究に励む平田篤胤は、「足は行かないが天下のことを知り尽くしている神」として、勉学する傍らに常に久延毘古(くえびこ)画を掛け置きました。久延毘古は『古事記』にも登場する田の神、案山子(かかし)です。知恵の神と言われています。篤胤 ...

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 平田篤胤が秋田藩を脱藩して江戸に出てきたのは寛政7年(1795)、幕府の命で江戸を離れて秋田に戻るのが天保12年(1843)で、江戸での活動は50年近くということになる。講釈を始めた文化元年(1804)起算しても約40年である。一般 ...

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平田篤胤は、生まれ変わりに強い関心を抱いていました。
多摩郡程久保村(現・日野市程久保)の藤蔵から、同郡中野村(現・八王子市東中野)の勝五郎へと再生したという話を篤胤は知りました。そして、勝五郎やその父源蔵から詳しく聞き取り調 ...

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平田篤胤の評価は語る人によってさまざまなものがある。その中にはアト智恵の批判も多い。私が最も関心をもっているのは、当時の村々の名主・庄屋の階層に門弟や支持者が多かったという事態である。

下総国香取郡松沢村の名主宮負(みやお ...