篤胤研究における『古史伝』の大切さについて

 平田篤胤が秋田藩を脱藩して江戸に出てきたのは寛政7年(1795)、幕府の命で江戸を離れて秋田に戻るのが天保12年(1843)で、江戸での活動は50年近くということになる。講釈を始めた文化元年(1804)起算しても約40年である。一般に篤胤の「主著」として紹介されることの多い『霊能真柱』であるが、刊行されたのは文化10年、講釈開始から9年後であり、篤胤はその後30年以上も自らの学問をいわばアップデートし続けた。その展開の重要部分を見ることができるのが大部の著書『古史伝』である。篤胤の学問を研究しようとする者は、この『古史伝』を避けて通ることができない。『霊能真柱』だけを読んで篤胤の学問を語るというのは、今日ではあまりに不誠実な態度になる。

 ただし『古史伝』の記述は膨大で、現代のわれわれはその内容にアプローチするために、何らかの工夫をしなければならない。高弟らによる索引『古史伝捷覧稿』(『新修平田篤胤全集』補遺1)は手がかりの一つで、一種の語彙索引である。もう一つ考えられる手がかりは、「古史」である。篤胤が考えた神代の事実を一連の「歴史」としてテキストに編んだのが「古史」であり、『古史伝』はこの「古史」の解説書である。そのため「古史」の流れがある程度頭に入っていると、どの箇所で何について説明がされているか見当をつけやすい。この「古史」は一般にはなじみが薄いものだが、基本となっているのは古事記と日本書紀なので、この2書に少し親しんだ後であれば『古史伝』は思ったよりも読みやすくなると思う。

國學院大學教授
遠藤潤