コラム

平田篤胤に関するコラム

※研究者の方々に執筆いただいています。

平田篤胤の伊勢参宮

「お伊勢行きたや、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」(伊勢音頭)と唄われたように、江戸時代は伊勢参宮が隆盛した時代です。文政6年(1823)、篤胤は関西旅行を行いました。人生最大の旅行で様々な用事がありましたが、その […]

平田国学と「顕幽無敵道」印

 現在、印章を使用する機会が減少する傾向にありますが、これは時代の流れであるように思われます。しかし、昔の人は印文に特別な思いを込めている場合があります。歴史を考えるうえでは、印章を等閑視することはできません。 さて、平 […]

平田国学と伊良湖岬 ―糟谷磯丸・宮負定雄・島崎藤村―

 伊良湖岬は、愛知県の渥美半島先端に位置しています。現在、この風光明媚な岬には筆と短冊を持った歌人の銅像があります。江戸後期、伊良湖に生まれた糟谷磯丸(かすや・いそまる、1764〜1848)です。磯丸は、平田篤胤(177 […]

平田篤胤肖像

篤胤肖像はいろいろ伝来していますが、国立歴史民俗博物館の平田篤胤関係資料の中に自画像が見つかっています。これが篤胤の実際の顔に近いものと考えられます。 『気吹舎日記』の天保9年(1838)11月20日の条をみてみますと、 […]

「筑波蜂起一件顛末記」刊行によせて

 幕末維新期の平田国学の中心地域は東濃・木曽谷・南信の「夜明け前」の世界であった。中津川本陣の市岡殷政(しげまさ・島崎藤村の歴史小説『夜明け前』の浅見景蔵のモデル)はペリー来航の嘉永六(一八五三)年から明治八(一八七五) […]

平田篤胤の晩学のすすめ

 現代は、生涯学習の時代です。成人してからも、リタイアしてからも楽しく学び続けることが求められているようです。全国各地で、大小さまざまな講座が開催されていることは、ご存知のことかと思われます。   さ […]

熊澤恵里子

和魂万国才

明治2年8月2日、日本の神々である八意思兼神と久延毘古神を祀り大学大博士平田銕胤が祝詞をあげた学神祭は、漢学者の猛反発を呼び大論争に発展した。集議院では「釈奠廃止、漢籍廃止」が諮問され、当然のことながら二件とも圧倒的多数 […]

『仙境異聞』の現在

 最近、岩波文庫の一冊『仙境異聞・勝五郎再生記聞』がよく売れているようで、書店でも平積みになっている様子を見かけます。今の若い人たちが、篤胤の著書を熱心に読んでいるというのは、真にうれしい限りです。  寅吉(天狗小僧、仙 […]

捜索 都賀厚之助

平田国学に関しては、篤胤の評価を始め近年は史実に沿った評価がなされるようになってきており、研究者の一人として私も嬉しく思っている。その中で今最も気になっているのが、都賀孝之助強という平田没後門人である。都賀は単なる門人で […]

熊澤恵里子

平田の学業神-久延毘古

古道研究に励む平田篤胤は、「足は行かないが天下のことを知り尽くしている神」として、勉学する傍らに常に久延毘古(くえびこ)画を掛け置きました。久延毘古は『古事記』にも登場する田の神、案山子(かかし)です。知恵の神と言われて […]