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熊澤恵里子

明治2年8月2日、日本の神々である八意思兼神と久延毘古神を祀り大学大博士平田銕胤が祝詞をあげた学神祭は、漢学者の猛反発を呼び大論争に発展した。集議院では「釈奠廃止、漢籍廃止」が諮問され、当然のことながら二件とも圧倒的多数で否決された。 ...

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 最近、岩波文庫の一冊『仙境異聞・勝五郎再生記聞』がよく売れているようで、書店でも平積みになっている様子を見かけます。今の若い人たちが、篤胤の著書を熱心に読んでいるというのは、真にうれしい限りです。
 寅吉(天狗小僧、仙童)の ...

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平田国学に関しては、篤胤の評価を始め近年は史実に沿った評価がなされるようになってきており、研究者の一人として私も嬉しく思っている。その中で今最も気になっているのが、都賀孝之助強という平田没後門人である。都賀は単なる門人ではな

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熊澤恵里子

古道研究に励む平田篤胤は、「足は行かないが天下のことを知り尽くしている神」として、勉学する傍らに常に久延毘古(くえびこ)画を掛け置きました。久延毘古は『古事記』にも登場する田の神、案山子(かかし)です。知恵の神と言われています。篤胤は ...

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 平田篤胤が秋田藩を脱藩して江戸に出てきたのは寛政7年(1795)、幕府の命で江戸を離れて秋田に戻るのが天保12年(1843)で、江戸での活動は50年近くということになる。講釈を始めた文化元年(1804)起算しても約40年である。一般 ...