平田の学業神-久延毘古
古道研究に励む平田篤胤は、「足は行かないが天下のことを知り尽くしている神」として、勉学する傍らに常に久延毘古(くえびこ)画を掛け置きました。久延毘古は『古事記』にも登場する田の神、案山子(かかし)です。知恵の神と言われています。篤胤は、蓑笠をまとい田にたたずむ久延毘古を好んで描きました。平田家には久延毘古図とともに篤胤詠歌も残されています。篤胤詠歌「まさしかる事のしるしハ天の下の物識人やとひて知らまし」。「秋はてヽとふ人もなき久延彦のあしあるかすも道そたヽなむ」。
久延毘古は、明治元年12月に京都で開講した皇学所の学びの神々としても祀られました。また、明治2年8月2日、東京の大学校開校に先立ち執行された学神祭にも登場します。学神祭は、それまでの孔子を祀る釈奠(せきてん)に代わる新政府の学校祭祀として盛大に行われました。新たな大学校の学神(まなびのかみ)として祀られたのは、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)と久延毘古神(くえびこのかみ)でした。
東京農業大学 教職・学術情報課程 教授
熊澤恵里子